工田 啓史 (東京大学医学部附属病院)
工田 啓史
東京大学医学部附属病院
平成29年9月4日~平成29年9月29日
(社会医療法人青洲会 青洲会病院)

 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と、かの文豪、川端康成は『雪国』で上越の景色を表している。この地で同じように述べるならば「松浦鉄道の長い旅を終えると港町であった」という文章になるのだろうか。センスの無さがにじみ出ていて、やはり、私は文豪には到底なれそうにもない。だが、ひと月前の私にとって平戸はそんな例えを使いたくなるくらいには遠い場所であった。正直なところ、今となっても過去形を使えるかと言われると疑問符は残っている。しかし、潮の匂い、一面の青、鳶の声、そういった何もかもに対して感情が鈍麻してきたのは確かだ。きっとそれが慣れる、暮らすということなのだろう。
 医者も2年目となると少しずつ、その生活に順応する。人の死にも幾分慣れた。笑顔も随分うまくなった。諦念と情熱を使い分けるのが長くやるコツだとは誰に聞いた言葉だったか。死についての無力さを学び、生についての貪欲さを手に入れた。それはとても必要なことで、大事なことで、でもきっと全てではなかったのだろう。暮らすということは老いることであり、老いるということは病を抱えることである。それを不幸と思う事はたやすいが、少なくとも人々は皆、病を抱えて、幸せに生きていた。生と死の間の抜けている何かが、ここには手の届くところにあるように思えた。都会では目を背けがちなそんな当たり前の事実を学べただけでも、この地に来た大きな意義があるように思える。このひと月でお世話になった方へ、改めて心からの感謝を述べたい。
 さて、結びとして小説、『神様のカルテ』(著:夏川草介)の私の好きな言葉をもって終わろうと思う。「神様がそれぞれの人間に書いたカルテってもんがある。俺たち医者はその神様のカルテをなぞっているだけの存在なんだ」
工田啓史