板宮 孝紘 (東京大学医学部附属病院)
板宮 孝紘
東京大学医学部附属病院
平成28年10月3日~平成28年10月28日
(平戸市立生月病院)

 移動日に有休を抱き合わせて長崎県内の観光地を数日かけて巡りながら電車、バスを乗り継ぐ。生月病院に向かうバスに乗りくねくねした道を行きながら生月大橋を渡って生月島へ。夜の暗い中いくつかの店が灯りをともしているのが見えるがその数も両手で数えられるくらい。そこから信号を左折し再びうねうねと道を曲がる。街灯もなくなり不安になった頃に「次は生月病院前」とのアナウンス。不安になりながらもボタンを押して下車し、到着。
 辺りは真っ暗であった。エリアを何度も確認してからレンタルしたはずのWifiの電波すら届いてない。そして夕食の算段を付けずに来てしまったので何も食べるものがない。コンビニと電波が届く場所を探しに外に出て歩き始めるが一向に戦果は生まれない。その間に通り過ぎる建物の数すら片手で数えられる程度。逆向きに向かって歩いてみるもののやはり戦果なし。そこで初めて自分の見込みが甘かったことを思い知らされた。生月病院は自分が思っていたよりも遥かに田舎であった。
 失意にくれながら家に戻って色々と探してみると前に寮を利用した人が残していったものだろうか、部屋の中にカップ麺が1つだけ置かれている。粋な計らい(かどうかは知らないが)に感謝しつつ夜をしのぎ、翌日は時間を目いっぱい使って島の中心部で食料調達に勤しんだ…… こんなスタートだったのを1ヵ月経った今でもありありと思い出せる。それが1ヵ月の終わりになると星空を眺めながら周りの灯りが眩しいと文句を垂れつつひたすらこの土地に名残惜しさを覚える始末なのだから、「住めば都」という言葉はダテではない。

 1ヵ月はあっという間に過ぎた。生月島、そして平戸の美味しいものに舌鼓をうち、ちょうど祭りなどのイベントが多くあったシーズンなので休日には同期と共にイベントに出向き、ペーパーゴールドであった自分の運転免許証も久しぶりに仕事をした。病院では外来、健診、当直、往診、特別養護老人ホームの訪問回診などの中で新たな経験も色々と積むことができ、今まで大学病院で色々とこんがらがっていた自分の頭をゆっくりと休めながら整理することができた。一つの病院しか経験してこなかった自分にとっては「ところ変われば文化も変わる」を正に感じた1ヵ月であった。
 この島の高齢化率は40%程度であったか、外来を受診する患者さんの年齢層は高い。そしてその多くがいわゆる生活習慣病の予防、一次治療、二次治療や骨粗鬆症まわりの疾患で受診をする。へき地医療専門医(自称)こと院長が「これは数十年後に東京で起こることだよ」と度々おっしゃっていたのが印象的であった。

 誤解を恐れずに言うと、現在のところ自分の将来設計の中には地域医療に貢献しようという予定はない。ただ、それは決して地域医療そのものを否定しようという発想とはイコールではない。今、島の医療は良くも悪くも病院に籍を置いている4人の医師と数名の初期研修医で支えられている状態である。そこにはそれなりの責任もあるしやり甲斐もあるし、その裏には様々な苦悩や葛藤もある。1ヵ月でその全ては悟れなかったものの、今後進もうと考えている道とは全く異なる視点を初期研修医の時期に見ておきたいと考えていた自分にとってこの1ヵ月は正に期待していた通り、もしくはそれ以上の有意義な経験であった。自分の後輩たちにも是非とも地域研修を、そして生月を推していきたいと思う。
堀 裕太朗