阿部 遼 (社会福祉法人 恩賜財団済生会支部 静岡県済生会 静岡済生会総合病院)
阿部 遼
社会福祉法人 恩賜財団済生会支部 静岡県済生会 静岡済生会総合病院
平成29年11月13日~平成29年12月15日
(医療法人医理会 柿添病院)

 2017年11月12日、静岡を発ち新幹線で約5時間半、景色を眺めたり惰眠を貪るうちに博多駅に到着しました。大分県が母の実家であるため九州本土は毎年のように訪れていたものの、そこからさらに足を伸ばしたのは初めてで、キャナルシティ博多イーストタワーのバスターミナルを出発し期待と不安を抱えながらYOKAROバスに揺られること約3時間、長崎県平戸市に初上陸しました。そこから私の平戸での研修生活が始まったのです。平戸桟橋まで病院スタッフの方に出迎えをしていただいたため、桟橋からものの数分で柿添病院に到着。一旦入寮後、病院で美味しい夕食をいただき、無類の温泉好きである私はその足で平戸海上ホテルへと向かい日帰り入浴で長距離移動の疲れを癒しました。入浴後、陽は完全に落ちていましたが、街灯の灯る病院近辺をひとしきり散策し、翌日からの研修に備えて早めに床につきました。それから早くも5週間。平戸での研修生活が好きになってしまった私は、当初の予定であった4週間からさらに1週間延長させていただきましたが、それでも短く感じるほど充実していた研修でした。今は平戸を離れる寂しさでいっぱいですが、この研修期間で学んだことを綴ろうと思います。
 私が平戸を訪れる前に抱いていた地域医療のイメージは、それこそ小学生の頃楽しみに観ていたDr.コトー診療所のようなものでした。実際に目の当たりにした後に、そのイメージは中らずと雖も遠くはないものであったかなと思います。流石に自転車で訪問診療を行うといった場面には遭遇しなかったものの、地域において病院が担う役割はとてつもなく大きく、欠かせないものでした。地域医療の最たる特徴はやはりその地域に根付いた医療を提供していることで、先生方を見ていると、患者を市民の一人としてしっかりと認識しており、個々の生活に即した治療であったり、退院後のフォローであったりをなされていました。また、医師の数が少なく、一人の医師がその専門領域に収まらず広い視野で患者の治療に取り組まなければならないため、先生方の知識も幅広く、総合診療の一端を垣間見ることができたと思います。一方で、地域医療だからといってその医療水準が都心とかけ離れているかと言われれば、答えはNoです。私が研修した柿添病院では、様々な手術が行われていたり、緊急透析や人工呼吸管理もしっかりとできる環境が整っており、その水準の高さには良い意味で驚かされました。先生方も、決して最先端の医療情報を入手しやすい環境ではないにも関わらず、自身で興味を持って知識を取り入れ、水準を保っていることは、医師としての心構えとしても大変勉強になりました。
 医師の診療業務にとどまらず、その重要性を再認識したのが他職種との連携です。院内における看護師、PT/OT、介護士、ケアマネージャー、事務、、、などの様々な職種以外にも、院外では保健所や市役所、警察署、救急隊など、市民の生活を守るために本当に数多くの職種が関わっています。医師としては、知らず知らずのうちに、患者の疾患を治すことだけを考えてしまいがちです。しかし、その患者を捉える視点は職種によって大きく異なり、例えばPT/OTであれば退院後にどこまでをできるようにリハビリを計画するか、ソーシャルワーカーであれば患者が自宅に帰って生活できる環境があるのかどうか、なければ整えることができるのか、はたまた自宅退院が難しそうであれば適切な施設はないか、など、同じ患者を見ていても捉える視点は様々で、それぞれの意向を組み合わせて患者のケアに取り組むことこそが患者にとって最適なものとなるはずです。そしてその連携を改善していくことが市民の健康保全につながるのだと身近に感じることができました。
 さらに印象に残ったのは健診業務です。小児から高齢者まで様々な年齢の健診を経験させていただきました。普段の研修では疾患を既に抱え、さらに入院加療が必要なほどの病態になった患者を担当することが多いため、健康な方に異常所見が見られないかをチェックするという役割は新鮮なものでした。疾患が進行してから治療に精を出すのではなく、疾患の一次予防、二次予防をしっかりと行うことが市民の健康を守るためには大切なのだと実感できました。
 平戸市の人口分布は高齢者の割合は30%以上と高く、日本の10年後の姿であると言われています。つまり、日本の最先端の医療体系を展開しているとも言えるのです。ここで学んだことは今後必ず私の糧になってくれることと思うので、今の気持ちを忘れずに医療に真摯に取り組んで参ります。
 最後になりますが、今回の研修では、一年次ながら多くのことを経験させていただき、柿添病院の先生方、コメディカルの皆様、ならびにへき地病院再生支援・教育機構の皆様、誠にありがとうございました。
阿部 遼